小さなサロンの、でっかい挑戦。 ~失敗から生まれた僕の働き方~ Vol.4
Salons Blog
自己紹介
はじめまして。
THE SALONS 執行役員の高原卓玄(たかはら たくげん)です。
高校時代、僕は本気でサッカー選手を目指していました。
高1で1軍に入りながら、選手権東京都決勝ではベンチ外。
高2ではレギュラーとして出場したものの、僕のミスから失点し敗退。
そして迎えた高3、キャプテンを任されながら最後の選手権では再びベンチ。
悔しさと挫折を味わい、プロへの道を諦めました。
高校卒業後は銀行へ就職。しかし一年で脱サラし美容師の世界へ。
表参道の有名サロンに受かったものの、給料は低く、生活は苦しく、気づけば借金100万円。
それでも手を止めず原宿のサロンで店長を任され、投資家の支援を受けて自身のサロンを出店しました。
しかし4年後、方向性の違いから契約を解消することに。
突然フリーランス美容師としてゼロからの再スタート。
その過程で、美容業界が抱える構造的な問題を痛感しました。
—だったら、自分で変えよう。
そう決めて2018年11月、創業メンバーとしてThe Salons Japan株式会社を設立。
翌年2019年1月、自宅の一室を改装し「小さな個室サロン Hapill ouchi salon」をオープンしました。
現在は、
- 原宿のサロンの一席を借りてフリーランス美容師
- 新百合ヶ丘の自宅サロンを経営
- 日本全国のサロンの席を借りて出張美容師
という、場所に縛られない働き方をしています。
失敗も遠回りもすべて含めて、
「これからの美容師のカタチ」を自分の人生で証明したい。
そんな想いで日々挑戦しています。
第1話 はじめての出店で味わった“美容師独立”の現実
僕が初めてサロンを出店したのは、原宿で店長をしていた頃だった。
当時はスタッフにもお客様にも恵まれ、順調にキャリアを積んでいた。
それでも心のどこかでは、
「いつか自分のお店を持ちたい」
という想いが少しずつ大きくなっていた。
そんな矢先、長年のお客様でもある投資家の方から
「一緒に店をやらないか?」
と声をかけていただいた。
胸が高鳴った。
独立が一気に現実味を帯びた瞬間だった。
しかし、当時の僕はその誘いを一度断った。
理由は2つだった。
◆ 理由①:原宿時代のオーナーへの恩
原宿で店長まで育ててくれたオーナーに恩があった。
退社するなら、
「フリーランスとして資金を貯め、自分の力で出店したい」
そう考えていた。
その気持ちを伝えたとき、オーナーはこう言った。
「俺もそうだったし、男なら自分の店を持ちたいのは当然。
高原が独立して成功すれば、うちのブランド価値も上がる。
辞めるからには絶対に成功しろよ。」
この一言は、今でも忘れられない。
◆ 理由②:まず資金を貯めたかった
もう一つは、独立資金を貯めたかったことだった。
都内のさまざまなサロンを見て回り、
最終的に選んだのは歩合率が圧倒的に高い店だった。
「ここなら早く独立費用を貯められる」
当時はそう思っていた。
しかし、これが本当の意味での
“最初のしくじり” だった。
◆ フリーランスの現実と、お客様の言葉
店は安っぽく、雰囲気は殺伐としていた。
スタッフ同士のつながりもなく、
自分のお客様以外には完全ノータッチだった。
お客様が困っていても誰も動かない。
アシストもフォローもなかった。
美容師ではなく“作業員”になったような感覚だった。
そんな環境で働くうちに、モヤモヤが積もっていった。
ある日、お客様が帰り際に静かに言った。
「高原さん、ここなら稼げると思う。でもね…
独立資金が貯まる頃には、お客さん減ってると思うよ。」
心臓をつかまれたようだった。
“フリーランス美容師の働き方が悪いんじゃない。
環境が悪いと、お客様を幸せにできない。”
そう強く感じた瞬間だった。
安心できる空間、
気持ちよく帰れる雰囲気、
信頼していただける時間。
歩合が高くても、自由があっても、
空間が壊れているなら、お客様は幸せになれない。
◆ 1ヶ月でフリーランスを離れ、投資家の元へ戻る決断
「このままじゃダメだ。」
そう思い、僕は一度断った投資家の方に再び連絡した。
「もう一度、一緒に店を作らせてください。」
ここから僕の本当の挑戦が始まった。
◆ 出店後の現実は甘くなかった
スタッフ集めは順調だった。
しかし問題は、美容室の開業後の新規集客だった。
広告をかけても結果が出ず、
大手集客サイトには毎月60万円を投入したのに、
戻ってきた新規は約20万円ほどだった。
まさに
“サロン開業で典型的に起きる落とし穴”
そのものだった。
そこから値下げ合戦の泥沼が始まった。
自分が作りたかった世界観からどんどん離れていった。
スタッフを守るため、投資家からは
「年中無休で営業しろ」と強い要求があった。
スタッフの休みは減り、疲れと不満は蓄積し、
辞めていく仲間も出た。
心が折れそうな日々だった。
“守れなかった”という気持ちは、今でも忘れない。
それでも走り続け、
ようやく安定してきたのは2年後だった。
◆ しかし、次の壁が来た
力をつけたスタッフが
次々と独立や条件の良いサロンへの移籍を希望した。
“またゼロからか…”
精神的にきつかった時期だった。
◆ すべての失敗が、今の働き方につながった
しかし今振り返れば、この一連の失敗こそが
僕の働き方を劇的に変えるきっかけになった。
店舗を構えるリスク、
新規集客の限界、
人が離れていく現実、
投資家との価値観のズレ。
すべてが僕に教えてくれた。
後の原宿フリーランス美容師、出張美容師、Hapill ouchi salon、
そしてTHE SALONSでの挑戦へ──
すべてにつながる“はじまりの物語”だった。
失敗も遠回りも、全部必要だった。
今では心からそう思っている。
そして、僕の挑戦はここから始まった。
























